小学館の日本古典文学全集の解説に、「十二世紀の京都の街頭録音を聞く思いがする。」とあるのが目に留まって興味を持ったので曲をつけてみた。
投稿者: nobuaki
カリオペの憂鬱 第二巻 その二十三
音価は変化なく、音程のみが変化する。4:3の音価比で、二声の各旋律の音程及び旋律間の和音程が変化していく、音程というものに焦点のあたる必然をともなう形式。
源氏物語 その二十 「蛍」の巻
その二十は、蛍の巻より八首。
古典作品の中では、蛍は人を恋ふ思ひ(火、灯)の象徴として、しばしば扱われる。思ひの「ひ」を火に掛け、思ひ(心の火)を蛍の灯に例える。
鈴はさや振る藤太巫女
巫女舞について歌ったもの。「さや振る」の「さや」は、「然や」(そのように~か?)と「さやかに」(明瞭である、音声が澄んでいるの意)の二通りの解釈がある。
新古今和歌集 その三
新古今和歌集の和歌は、しばらく作曲していなかったけれど、その二まで投稿しているようなので、本投稿はその三として十一首。
伊勢物語 その十五 第百十七~百二十五段
初段から第百二十五段までを俯瞰してみて一つ思うのは、初段から第九段「東下り」までの物語の文章の空気感が、それ以降の段とはいくらか異なっているように思えるということ。
三つの今様 その三
極楽浄土への往生を目指す浄土教にあっては、その対として地獄の観念が取り扱われるのも道理ということになるのだろうか。
三つの今様 その二
この歌は、法円上人(1178-1231)作の和歌で、新古今和歌集巻第二十、釈教歌に収録されている。これが歌謡として歌われた。
三つの今様 その一
梁塵秘抄の巻第二に、百二十一首収録されている二句神歌は、最初に無標題のものが四十九首、そのあと神社歌が六十一首、最後に無標題のもの十一首の構成となっている
伊勢物語 その十四 第百~百十六段
『伊勢物語』第百一段の和歌、
咲く花の下にかくるる人おほみありしにまさる藤のかげかも
物語を何気なく読んでいても、いくらかふと気にかかる。本文において登場人物が「など、かくしもよむ」と言っているが、