初段から第百二十五段までを俯瞰してみて一つ思うのは、初段から第九段「東下り」までの物語の文章の空気感が、それ以降の段とはいくらか異なっているように思えるということ。
投稿者: nobuaki
三つの今様 その三
極楽浄土への往生を目指す浄土教にあっては、その対として地獄の観念が取り扱われるのも道理ということになるのだろうか。
三つの今様 その二
この歌は、法円上人(1178-1231)作の和歌で、新古今和歌集巻第二十、釈教歌に収録されている。これが歌謡として歌われた。
三つの今様 その一
梁塵秘抄の巻第二に、百二十一首収録されている二句神歌は、最初に無標題のものが四十九首、そのあと神社歌が六十一首、最後に無標題のもの十一首の構成となっている
伊勢物語 その十四 第百~百十六段
『伊勢物語』第百一段の和歌、
咲く花の下にかくるる人おほみありしにまさる藤のかげかも
物語を何気なく読んでいても、いくらかふと気にかかる。本文において登場人物が「など、かくしもよむ」と言っているが、
伊勢物語 その十三 第八十二~九十九段
第八十七段は、今の芦屋市、神戸市のあたり、業平、行平らが、海近くの業平の住まいから、山へ滝を見に出かけるなどする話。
このごろ京に流行るもの 『梁塵秘抄』より
当時の服飾について歌ったもの。
我を頼めて来ぬ男 『梁塵秘抄』より
「我を頼めて来ぬ男」の中の動詞「頼む」は、あてにする、頼みに思うの意味だが、ここでは他動詞で、あてにさせる、頼みに思わせるの意味。
伊勢物語 その十二 第六十六~八十一段
第六十九段は、『伊勢物語』の書名の由来ともされる、在原業平とされる男が、狩りの使いとして伊勢の国を訪れる話。
遊びをせんとや 『梁塵秘抄』より
梁塵秘抄の中でも有名なこの一首は、その歌詞については解釈を読み手に委ねるような抽象性があって、様々な解釈がなされる。