その十三は、第八十二段から第九十九段までの三十一首。
第八十七段は、今の芦屋市、神戸市のあたり、業平、行平らが、海近くの業平の住まいから、山へ滝を見に出かけるなどする話。段全体、どこかしら描写が生き生きとしていて、登場人物たちが物見遊山を楽しんでいるというか、それによって心の癒しを得ているというのが伝わってくるような感じがする。
この段に登場する布引の滝は、現在ではすぐ麓に山陽新幹線の新神戸駅ができて、駅近の観光スポットとなっている。行平は、わが世を待つ甲斐のない涙(の滝)と目の前の滝とを比べてどちらがより高いかと歌を詠むが、世を嘆いて歌ったものともとれるが、え、そんなに泣くの?という可笑しみも感じられる。対して業平は、白玉のまなくも散るか袖のせばきに、と答えている。
涙とは、和歌でしばしば用いられるモチーフだろうが、あまりに多く用いられるこのモチーフが、ここではパロディ化されたような、誇張されたような感じになっていて面白い。
可笑しみをたたえた、歌のやり取りが絶妙なさまであることから、「かたへのひと、笑ふことにやありけむ、この歌にめでてやみにけり」と地の文は表現しているように感じられた。この「笑ふことにやありけむ」の一語がなければ、段全体の印象がずいぶん変わってしまうような気がする。
試聴
老いぬればさらぬ別れのありといへばいよいよ見まくほしき君かな
蘆の屋の灘の塩焼きいとまなみ黄楊の小櫛もささず来にけり
彦星に恋はまさりぬ天の河へだつる関を今はやめてよ
数字付き低音
前回同様、抜粋して数字付低音を示した。これは、それぞれの旋律が、どういう旋律であるかを示すものとはなるだろう。空虚五度等の二和音については、数字を示さず構成音を示している。