その十二は、第六十六段から第八十一段までの二十二首。
第六十九段は、『伊勢物語』の書名の由来ともされる、在原業平とされる男が、狩りの使いとして伊勢の国を訪れる話。
書名の由来について検索してみたところ、斎宮歴史博物館:斎宮千話一話「伊勢物語絵巻が語るもの」によると、館の所蔵する「伊勢物語絵巻」には、第六十九段「狩の使」ために挿画が四つもあって、「伊勢の」物語、そしてその物語絵という意識を今に伝えているのではないかとのこと。
「かち人の渡れど濡れぬ」の歌は物語の中で、上の句「かち人の渡れど濡れぬえにしあれば」を斎王が、下の句「また逢坂の関は越えなむ」を男が詠んだもの。
試聴
目には見て手には取られぬ月のうちの桂のごとき君にぞありける
岩間より生ふるみるめしつれなくは潮干潮満ちかひもありなむ
補遺
今回は、譜面を読みやすくするために、調がある程度確立しているものとそうでないものとを分けて、前者の譜には調号をつけた。
C-dur, a-mollを除くすべての譜面に調号をつけても良いのだけれど、そうすると、何調であるかが明確ではない曲を含むために、曲によって調号が調を明確に示したり示さなかったりすることになる。
その紛らわしさを避けるための処置だが、調が確立しているかどうか曲によって判断しにくいあいまいな場合もあり、すべての曲で調号無しとするのもやはり一つの方法だろうと思う。
もう一点、上記の調号の件とも関連するが、旋律に対してどのような和声が付されるか分かりにくいのではないかと、改めてふと思った。和歌の旋律に対しては、和声はシンプルなものとなることが少なくないが、やや機能和声を逸脱しているところもあるので、わかりにくいこともあるかもしれない。以下に、今回投稿したものの中からいくつか抜粋して、数字付き低音を示した。
空虚五度など、バスの三度上の構成音等を省略したハーモニーが必要な場合、それらは機能和声の範疇外なので、数字ではなく、構成音を音符で示した。