その二十は、蛍の巻より八首。
古典作品の中では、蛍は人を恋ふ思ひ(火、灯)の象徴として、しばしば扱われる。思ひの「ひ」を火に掛け、思ひ(心の火)を蛍の灯に例える。このことは、そのまま巻名歌の内容に端的に表れている。
声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ 玉葛
源氏物語「蛍」より
顔の見えるように、女のもとに蛍を入れて照らすというような題材は、伊勢物語の第三十九段にもみられる。
源氏の物語論
蛍の巻には源氏が物語について論じる場面がある。物語というものについて、源氏は、その内容が事実のことであるか、作り話であるかということを問題としていて、現代人の感覚からするといささか奇異にすら感じられる。物語が作り話であるのは、ごく当たり前のことのように思えるからである。源氏は、そらごととわかっていて物語に熱中している六条院の女性たちについて、「あな、むつかし」と言う。
(源氏)「あなむつかし。女こそ物うるさがらず、人に欺かれむと生まれたるものなれ。こゝら(物語)の中にまことはいと少なからむを、かつ知る知る、かゝるすゞろごとに心を移し、はかられ給ひて、暑かはしき五月雨の、髪の乱るゝも知らで、書き給ふよ」とて、笑ひ給ふものから、
源氏物語「蛍」 源氏と玉葛との物語についての対話の場面より
これについては当時、物語というものが人の口から語られるものであったということ。つまり物語とは、物語を語る話者の存在にもとづいているということがあるだろう。物語というものについて考えるうえで、「絵合」の巻と合わせて、興味深い一節となっている。
試聴
声はせで身をのみこがす蛍こそ言ふよりまさる思ひなるらめ 玉葛