これより北には越の国 『梁塵秘抄』より

これより北には越の国 楽譜 ページ2
これより北には越の国 楽譜 ページ3
これより北には越の国 『梁塵秘抄』より

これより北には越の国 夏冬ともなき雪ぞ降る
駿河の国なる富士の高嶺にこそ 夜昼ともなく煙立て

おそらく京のみやこからみて、さまことなる遠方の地のめずらしい光景をうたったもの。
当時の富士山は、歌にあるように絶えず煙を立てる山であったとのこと。菅原孝標女の『更級日記』にも、作者が少女時代に見た富士の山の様子を描いた場面がある。

作者の父孝標が上総介の任を終えて帰京する道中、一行は足柄山(神奈川と静岡の県境)の麓に宿をとった折、三人の遊女があらわれ、彼女らの歌う今様を聴いた(声すべて似るもなく、空に澄み上りてめでたく歌をうたふ)。翌日、山を越えて駿河の国に入る。

富士の山はこの国なり。わが生ひ出でし国にては西面に見えし山なり。その山のさま、いと世に見えぬさまなり。さまことなる山の姿の、紺青を塗りたるやうなるに、雪の消ゆる世もなくつもりたれば、色濃き衣に、白き衵着たらむやうに見えて、山の頂の少し平らぎたるより、煙は立ち上る。夕暮れは火の燃え立つも見ゆ。

菅原孝標女『更級日記』より

孝標が上総介の任を終えて帰京したのは、寛仁四年(1020)とのこと。今からちょうど千年ほど前の富士の姿の記録。

投稿日:
カテゴリー: 今様

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です