極楽浄土への往生を目指す浄土教にあっては、その対として地獄の観念が取り扱われるのも道理ということになるのだろうか。
カテゴリー: 今様
三つの今様 その二
この歌は、法円上人(1178-1231)作の和歌で、新古今和歌集巻第二十、釈教歌に収録されている。これが歌謡として歌われた。
三つの今様 その一
梁塵秘抄の巻第二に、百二十一首収録されている二句神歌は、最初に無標題のものが四十九首、そのあと神社歌が六十一首、最後に無標題のもの十一首の構成となっている
このごろ京に流行るもの 『梁塵秘抄』より
当時の服飾について歌ったもの。
我を頼めて来ぬ男 『梁塵秘抄』より
「我を頼めて来ぬ男」の中の動詞「頼む」は、あてにする、頼みに思うの意味だが、ここでは他動詞で、あてにさせる、頼みに思わせるの意味。
遊びをせんとや 『梁塵秘抄』より
梁塵秘抄の中でも有名なこの一首は、その歌詞については解釈を読み手に委ねるような抽象性があって、様々な解釈がなされる。
もろこし唐なる唐の竹 『梁塵秘抄』より
唐から海を渡って流れ着いた竹、そしてそれを材料にもちいた笛ということを主題とした今様は、『古今目録抄紙背今様』や、同じ『梁塵秘抄』の347番の歌にもみられる。
尼はかくこそ候へど 『梁塵秘抄』より
日常の一場面を切り取ったような内容の歌。尼と雨(あま)を掛けている。
これより北には越の国 『梁塵秘抄』より
おそらく京のみやこからみて、さまことなる遠方の地のめずらしい光景をうたったもの。当時の富士山は、歌にあるように絶えず煙を立てる山であったとのこと。菅原孝標女の『更級日記』にも、作者が少女時代に見た富士の山の様子を描いた場面がある。
五つの今様 『梁塵秘抄』より その五
歌詞の形式は整っているように感じられるものの、四句神歌に多くみられる七五句四連やそれに類するものとは、幾分異なっているようである。